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でもクリの結婚 ブログトップ

でもクリの結婚 その6 [でもクリの結婚]

結婚を決めて、私は、心配して下さっていた方々に、報告しました。
私が祈った上で決めた、ということをお話しすると、
意見(クリスチャンはクリスチャン同士結婚するべき)は変わらないけれど、
祈った上で決めたのならばその結論を受け入れましょう、と
言って下さいました。

そして、お互いの両親にも、教会の方々にも、
周りの友人達にも祝福されて、結婚することができました。

そして、今の私達は、時々「おのろけ」カテゴリーにも
書いている通り、とても仲良くやっております。

ダンナさんは、結婚前に言ってくれた通りの愛で、
私を愛してくれ、受け入れてくれます。
私がズッコケ妻で年中抜けているのに、ずっと優しいダンナさんです。

ダンナさんは、クリスチャンではありませんが、
私が食前にお祈りをする時は、いっしょに祈ってくれますし、
私が教会に行ったり、教会の奉仕に時間を割いたりすることも
独身の時と同じようにして下さい、と言ってくれます。
そして、時には、二人で神様のことを話したりもします。
(ダンナさんの家の宗派、浄土真宗の教えは、
意外とキリスト教に近いところがあったりして、おもしろいです。
実際、キリスト教の影響を受けている、という話を聞いたこともあります)

人を愛すること、謙虚に誠実に生きることに関しては、
私などよりもクリスチャンでないダンナさんの方が
ずっと聖書の示す生き方に近いなぁ、と思うことが多いです。
(実はダンナさんは記憶を亡くした元天使なんじゃないか、と
密かに私は疑っていたりもします。
みじめでかわいそうな私のために、
わざわざ地上に降りて来てくれたのではないかと・・・)

また、結婚前に私にはもう一つ祈ってきたことがありました。
それは、結婚をして、二人になったら、一人ではできないこと、
二人という、最小の社会を持ったからできる働きをしたい、ということでした。
それが何なのかはわからなかったのですが・・・
二人の仲が良いことは、夫婦として一番大切にしなければならないことですけれど、
二人だけで二人の世界に閉じこもってしまうような夫婦になるのでは、
結婚する意味が半減してしまうように思っていたのです。
何か、結婚のあり方として、二人で生きることによって、
周囲にも良い影響を及ぼすことができる、
そんな夫婦になれたらいいな、と思っていたのです。
(もちろん、子供ができれば子育て、という大変な事業に取り組む
ことになる訳で、それも夫婦で取り組むすばらしい働きですが、
何と言っても授かりものなので・・・)

その祈りは、今、少しずつ実現して来ているように思います。
それは、ホームレスの方々と関わる、ということです。
まだ私自身が関わり始めて半年、ダンナさんもいっしょに関わり始めて3ヶ月
ですけれど、
一人だったらダンナさんも私もできなかったであろうお手伝いを、
二人でやらせて頂いています。
これからどのようにこの働きが発展していくのか、
更にお祈りして行きたいと思います。

今後ダンナさんがクリスチャンになるか、それともならないか、
それは私にはわかりません。
でも、私がすべきことは、ダンナさんをクリスチャンにすることではありません。
(それは神様が決められることですから)
私にできることは、私自身がキリストによってしっかりと立っていること、
そしてダンナさんをキリストから頂いた愛で、一生愛すること、
ダンナさんが与えられたことを感謝すること、なのだと思います。
(まぁ、でもクリなので、どのぐらいそれが達成できているかは別として・・・)

長らく読んで下さってありがとうございました。
(終わり)


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でもクリの結婚 その5 [でもクリの結婚]

とにかくダンナさんを愛そう、
神様がダメと言われたらあきらめよう、
と気持ちに踏ん切りがついたのが、
お付き合いをはじめてから1年ぐらい経ってからでしょうか。

でも、でも、お付き合い2年近くたっても、初めに感じた
平安な心、ダンナさんとの絆は全く変わりませんでした。
というか、日に日にもっと絆が強くなって行くように思いました。

ダンナさんとその頃公開された映画パッション」を見に行きました。
いっしょになってドロドロに泣いてしまったのでしたが、
結構聖書のエピソードがあちこちに飛んで断片的に描かれていたので、
聖書を知らない人にはわかりにくかったかしら、と思い、
後でダンナさんに尋ねてみました。
すると、ダンナさんは、
バッハのマタイ受難曲などの宗教曲で、大体福音書のストーリーを知っていたので、
エピソードはみんなわかった、ということでした。
(実はダンナさんは、大のクラシック音楽好きで、
ある意味、職業にしている私よりも詳しかったりします。
そういうところも、私達の感覚がピッタンコなところです。)

そして、聖書そのものは読んだことがないものの、
人が愚かであることや、人間を超えた存在、神の存在を認めつつ生きることなど、
ダンナさんの考え方が、聖書を信じる私ととても近く、お互いに共感できる、
ということが、色々と二人で話して行くうちにわかって来ました。

そしてダンナさんはおつきあい時代も、現在も、
忙しいお仕事の合間をぬって、時々いっしょに礼拝に来てくれるのです。

そんなところから、ダンナさんといっしょに歩んで行ける、
という確信がますますつのるのでした。

おつきあいして2年経って、私達は結婚することにしました。


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でもクリの結婚 その4 [でもクリの結婚]

その後ダンナさんとは、幸せなおつきあいを
続けておりましたが、
クリスチャンの友人の中には、やはり
私がクリスチャンでない人とおつきあいをしていることを
心配する人はいました。
相手には教会で聖書を学んでもらい、
相手が信じることができてから結婚するべきで、
信じてもらえなかったら、やはり別れるべきだ、
と、何人かから忠告を受けました。

しかし、どうしてもその忠告に納得できなかった私は、
それじゃあ自分が納得するまで、勉強しよう、と思い、
色々な文献を読みました。

まずは聖書の結婚に関する様々な記述を何度も読み返しました。
(残念ながら、クリスチャンはクリスチャンと結婚すべし、とも、
そうでない人と結婚してもよい、とも、十戒や律法のように明確に
わかるところは見つかりませんでした。)

また、クリスチャンの結婚について書かれた本、
特にクリスチャンはクリスチャンと結婚するべきだ、
と主張する本を意識的に何冊も読みました。

また、クリスチャンの様々な見方も知りたい、と思い、
インターネットなどで、キリスト教の様々な宗派が、
結婚に関してどんな見解を持っているのか、調べました。

そうすると、多くの宗派で、
クリスチャンはやはりクリスチャンと結婚することが、理想的、という見解でした。
(ここまでは、私も全くその通りだと思います)

しかし、理想的としながらも、必ずしもいつもそうなる訳ではない、
という柔軟な見解をする人々も多くあることがわかりました。

また、色々と調べて行くうちに、ひとつの事実にぶつかりました。
ローマの偉大な神学者、アウグスティヌスの母は、
自身は熱心なクリスチャンでしたが、異教徒の父親と結婚して、
アウグスティヌスをもうけているのです。
アウグスティヌスは、若い頃はマニ教に凝っていたのだそうですが、
母の祈りによって回心し、後の時代に大きな影響を残す、
神学者になったのでした。

そのように色々と勉強してみた上で、私の得た結論は、
クリスチャンはクリスチャン同士結婚すべし、というのは、
律法のように必ず守らなければならないものではないのではないか、
ということでした。

もちろんクリスチャン同士の結婚が、最も理想的で、
信仰が養われやすく、うまく行く確率も高いのだろうと思います。
またクリスチャン同士の夫婦は、
夫婦で神に仕える、クリスチャンホームを建設する、
という、すばらしい使命を持つことができます。
クリスチャンだったら、誰でも望むことです。

でも、神様は、そうでない結婚にも人を導かれることもありうる、
それによって、クリスチャン同士の結婚とは違う、
他の使命を与えることだってあるのではないか、
(アウグスティヌスのお母さんのように)
とそのように思うようになりました。

そこで、私はこんな祈りを毎日繰り返し祈っていました。
「私はダンナさんのことを、神様が下さった、夫になるべき人だと思っています。
ダンナさんと結婚したいと思っています。
ダンナさんをずっと愛して行きたいと思っています。
でも、もしもこれが私のひとりよがりな思い込みであって、
あなたの御心でないのならば、
どうぞ結婚の前に遠慮なくぶち壊して下さい。」

そして、そんな私の支えになっている御言葉は、
あの、ダンナさんが私に言ってくれた第1コリント13章の13節
「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。」

何よりもダンナさんを、
イエス様から頂いた愛で愛して行こうと思いました。
(つづく)


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でもクリの結婚 その3 [でもクリの結婚]

ダンナさんにそのセリフ(その1を参照)が言えなかったもうひとつの理由、
それは、ダンナさんの態度でした。

ダンナさんは決して無理をしている訳ではないようなのに、
一度も私の前で、不機嫌だったことがなく、
仕事が大変そうな時も、体調があまり良くない時も、
いつでも優しく、ニコニコしているのでした。

私はそんなダンナさんとともに過ごす時間を
かつて味わったことがないぐらい幸せに思いました。
そして、不思議なことに、これまでにおつきあいして来た男性には
感じることができなかった、確かな「絆」を
ダンナさんとの間に常に(いっしょにいる時も、離れている時も)
感じていたのでした。

そして、おつきあいをはじめて半年ぐらい経ったある日、
私はダンナさんから
「愛しています」と言われました。

とてもうれしかったです。
うれしかったけれど、う~んと考え込んでしまいました。

「愛」という言葉って、実は
世間ではとてもファジーに使われている言葉です。
「愛している」が単に「好き」という意味だったりすることもあるし、
「君と寝たい」という意味だったりすることもあります。
(これで多くの女性がだまされたりもする・・・)

そして、聖書の中で使われる「愛」も、原書では3種類ぐらいの言葉が
使い分けられているとのことです。
以下は教会で教えて頂いたことの概略ですが、
フィレオーというのが、「友愛」、友達を大切に思う愛。
エロスというのが、男女の愛。
アガペーというのが、神の愛。

そしてクリスチャンは、神の愛、「アガペー」を、
イエス様の十字架という大きな犠牲によって受け、
その神様から頂いた「アガペー」の愛にならって生きようとする者です。
(人間には罪があるから、なかなか本物のアガペーで
人を愛することはできないのですが、
一生かけて、その努力をする、ということになっています)

だから、ダンナさんに、愛について聞いてみました。
そして、私にとって「愛」が一生の課題で、
難しいものであることも言いました。

すると、ダンナさんは何と!第1コリント13章の13節を挙げて、
愛することは、相手の良いところも悪いところも、
全部受け入れようとすることであり、
それは簡単に到達できる境地ではないけれど、
二人でずっと頂上をめざして歩いていくようなものなのではないか、
と言ってくれました。

そして、私の過去、欠点はもちろん、
私がクリスチャンであることも、すべて受け入れます、
と言ってくれたのです。

私はこの時、ダンナさんがクリスチャンでなくても、
本当のアガペーの意味を知っている人だと思いました。
そして、ダンナさんが、私の「すべて」を受け入れてくれる、
キリストを一番大切にしている私をもそのまま受け入れてくれる、
ということに、驚きながらも感謝しました。

そして、ダンナさんが、「すべて」を受け入れて下さる、
つまり愛して下さるのに、
クリスチャンである私がダンナさんをクリスチャンでないから受け入れられない、
というのは、おかしい、と思いました。
(人を愛するのが使命のはずなのに)

それで私は、そのセリフをダンナさんに言うのをやめる決心をしました。
(つづく)


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でもクリの結婚 その2 [でもクリの結婚]

私がおつきあい時代のダンナさんに、
そのセリフが言えなかった理由は二つあります。

一つは、過去の苦い経験。

私はクリスチャンになりたての頃、
他の、やはりクリスチャンではない男性とおつきあいをしたことがあります。
信仰を持ったばかりで、ある意味純粋、言い換えればバカ正直、
信仰のことばかり考えて、相手の気持ちを考えているゆとりのなかった私。
つきあい始めの頃に、いきなりそのセリフを相手にぶつけました。

彼はでも、「君にとって大切なものならば」
と言って、教会に来てくれました。
そして相当真剣に、必死に、聖書を学び、理解しようと
つとめてくれました。

でも、なかなか信じることができませんでした。
(といっても半年ぐらいのおつきあいだったのですけれど)
そして信じることができずに苦しむ彼に、
「信仰を第1にする」ことばかり考える私が何を言っても、
結局深い川のこちら側とあちら側で
「あたしたちは、こ~~んなに離れている」ということを
確認することしかできなかったのです。

そして彼の方が次第にあせり始め、
次第に神様に反感を持つようになって行きました。

神なんかがいるから、僕達は結婚できない!神なんか糞くらえ!
ある日、限界に達した彼は、私にそのように言い、去って行きました。

このことがあって、私の中に、
「彼を傷つけてしまった」という思いが強く残りました。
別れた直後はまだ、よくわからなかったのですが、時間がたつにつれて、
クリスチャンとして自分の信仰を守る、ということと同時に(それ以上に)、
もっと彼の心に、彼の苦しみに共感できなかったのか、
と思うようになったのです。
もちろん彼自身の心のかたくなさ、弱さ、というものもあったかもしれません。
また、このことでお互いに結婚すべき相手ではない、と
悟ることができた、ということはあったかもしれません。
でも、私は自分の信仰を守るために、彼に大きな荷物を背負わせ、
結果、彼という人に、神様のことを
意地悪で自分を傷つけるヤツ、と強く印象付けてしまったのです。

彼にこんな傷を負わせた私は果たして、彼を本当に「愛していた」のだろうか?

どんなに完全な信仰があったとしても、愛がなければすべて空しい、
(第1コリント13章あたり)
と説いたパウロの言葉が、私の心につきささりました。
(つづく)


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でもクリの結婚 その1 [でもクリの結婚]

でもクリ日記の番外編として、
私とダンナさんの結婚の経緯について書いてみたいと思います。

ある方が見れば、本当に「でもクリ」の結婚でダメじゃん!
と言われるかもしれません。
でも私自身は、誰が何と言っても、
ダンナさんは神様が私に下さった、イエス様に次ぐ
最高の贈り物だと思っています。

・・・という訳で私は昨年、本当に優しく、尊敬でき、
世界で一番私にぴったんこ!と思えるダンナさんと結婚しました。
でも、ダンナさんとの結婚を決めるにあたって、
私にはたった一つの問題がありました。

それは、ダンナさんがクリスチャンじゃない、ということでした。

現在教派によって判断が微妙に違うようなのですが、
私が属している教会では、
クリスチャンとそうでない人の結婚に否定的です。
(教会によっては、罪、と名言し、除名されてしまうところもあるようです。
私の教会はそこまで厳しくはないのですが・・・)

その理由は、聖書を読んで行くと、
結婚には信仰の一致が大事、と解釈できるということです。
特に旧約聖書では、
信仰の一致する相手を遠くまで探しに行って結婚する話、
信仰の違う異邦人と結婚したために信仰がダメになって行く話などがあって、
夫婦の間で信仰が一致していることの大切さが説かれています。
(ルツさんという、異邦人のすばらしいお嫁さんの話もあったりはするのですが)

(ちなみに新約聖書の第2コリント6章14節を、結婚の指示とする考え方があるようですが、
その前後関係で読むと、私には結婚のことを指し示す目的で語られた言葉には思えません・・・
なんて「でもクリ」が偉そうに言ってごめんなさい。)

だから私もずっと祈っていました。
クリスチャンと結婚できますように、と。

でも、日本の人口で1%以下と言われるクリスチャン人口、
しかも、宗派も同じ系統の方、と思ってみると、
実際、ものすご~~~~~~く選択肢が小さくなります。
だって、男性が1000人ぐらいいたとするじゃないですか。
そのうちの999人は私と信仰が違うから結婚の対象外、
というぐらいの確率なのですよ。
今の日本で同じ信仰の男性と出会って結婚できるのって、
まさに「奇跡」だな、とは思っておりました。
(まぁ、その奇跡がおきることを信じて祈っておりました。)

ところがある日、私とぴったんこ!と思えるダンナさんと、出会ってしまいました。
どのぐらいぴったんこだったかというと、
普段男性と会う時に少なからず緊張してしまう私が、
ダンナさんと初めて会った時に、ものすごくリラックスして、
100%私のまんまでいられた、ということなのです。
子供の頃、私をものすごくかわいがってくれて、
私の理想の男性だった、祖父といっしょにいた時の感覚を
ウン十年ぶりに思い出しました)
そしてダンナさんも私と同じようにリラックスしていたそうです。

そして、おつきあいをはじめたのですが、
クリスチャンでない男性とおつきあいをするならば、
是非言わなければならない、と思って来たことがありました。
それは、「私はクリスチャンと結婚したいと思っています。
教会へ来て聖書を学んでみてくれませんか。」

でも、私はどうしてもそのことが言えませんでした。
(つづく)


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