So-net無料ブログ作成
私とピアノの話 ブログトップ

よみがえる音 [私とピアノの話]

今日は家のピアノの調律をして頂きました。
でも、今日の調律は特別でした。

それというのも、今日来て下さったのは、
私が生まれる前から両親のピアノを調律して下さっていて、
二十数年前から音信不通になっていた調律師のMさんだったからです。

なぜ音信不通になってしまったかというと、
かなりトホホな理由なのです。
私がまだ某音大生だった頃に、父が退職して年金生活に入り、
当時2台あったグランドピアノ
(1台は私の練習用、1台は当時母が家でやっていたピアノ教室用)
の調律費用を捻出するのが難しくなり、
腕はいいけれど料金の高いMさんにお願いすることが、
経済的に無理になってしまったのでした。

でも、Mさんの腕は本当にすばらしかったのです。
その方が調律して下さった直後のピアノの音は、
とても美しくて、音色がキラキラと輝いているのでした。

でも、子供の頃からずっと、Mさんの調律しか知らなかった私は、
それがすごいことである、とも思わず、
当たり前なんだと思って、ピアノを弾いていました。

それに、当時の私は、両親や周囲に認めてもらうために
ピアノを弾いていたので、(-_-;)
その美しさを純粋に楽しむ余裕がなく、
それよりも今度のレッスンに怒られないようにすることばかり考えて、
練習していたのでした。

今思うと、もったいなかったなぁ、とも思いますが、
(もっと感動して、楽しんで弾いていたらなぁ・・・と・・・)
でも、私の音感は、やはりその方の美しい調律によって、
養われたことを考えると、やっぱりそれはそれで良かったのかな、と思います。

Mさんでない調律師の方にお願いするようになって、
調律費用は確かに半分ぐらいになったけれど、
私のピアノはとたんに、あの、当たり前だった、
キラキラした音色を失いました。

それ以後、これまで色々な方にピアノを調律して頂きました。

それぞれの方がていねいに調律して下さったですし、
決して腕も悪くはなかったと思うのですが、
でも、Mさんの音で育って来た私にとっては、
いつもどこか不満があるのでした。

やがて私は、ピアノの本当の楽しさを自分なりに見いだして、
時々舞台でピアノを弾くようになりました。

たまにコンサートで、とても良く調律された、
すばらしいピアノ(有名なブランドのグレードの高いピアノ)を
弾かせて頂くことがあります。

私が「こんな音を出したい。」と思って弾くと、
本当にそういう音を出してくれる、
また、今度はほんの少しだけニュアンスの違う音を出したい、と思うと、
また、その微妙な違いも見事に返してくれる、
強い音もとても上品な音色で、しかも力があり、
和音を鳴らした時には、美しい音が空間に豊かに鳴り響く、
そんなピアノに会うことがあります。

そんな時は、自分がいつもの1.5倍ぐらい上手になったような気分になります。
そして、そのピアノを弾いている間、
神様が招いて下さる、とても幸せな時間が流れるのです。

長いこと、そういう体験は、コンサート会場に置かれているような、
ものすごく状態の良い、ブランドもののピアノでしか、
できないんだなぁ、と思っていました・・・

そうこうするうちに、私は結婚をして、ピアノ一台とともに
全く土地勘も知り合いもない場所に引っ越して来ました。

さぁ、新しい土地で、調律師も探さなくてはならない・・・

でも、なかなか良い調律師といっても、誰が良いのか、
実際に頼んでみなければわからないので、
(やっぱり、Mさんみたいな調律師はなかなか見つからないよね、
と思いつつ・・・)
とりあえず某大手楽器店に連絡して、
調律師の方を紹介して頂きました。

その方はまだ若い方で、とてもていねいに、
時間をかけて調律して下さったのですが、
でも、結果にはやはり不満でした・・・
・・・というか、特に好みが合わないのか、
どこがどう違う、と指摘できる訳ではないのですが、
調律された全体の音が、気に入らないのです。

(調律に詳しい人に聞いたところでは、
調律の方法もいくつか流儀があって・・・
平均律の微妙なずらし具合が違うのだそうです。
その流儀が違っていたのかもしれませんが)

まぁ、練習用だから仕方ないか・・・と思っていたのですが・・・

ところが、2回目にその方がいらした時、調律が終わると突然、
「このピアノはもう、とても古くて、中がだめになって来ているので、
オーバーホールをするか、買い替えた方がいいです。」
とおっしゃいます。
そして、「オーバーホールよりも、買う方が結果的に安い場合が多いので、
買い替えた方がいいかもしれません。」と、
ピアノのカタログを置いて帰って行きました。

「はぁっ!?」
ピアノのオーバーホールとか、買い替えとか、
音楽をやっている友人の間でも、ほとんど聞いたことがなかったので、
びっくりしてしまいました。
(一日何時間も弾くピアニストが、ピアノを弾きつぶしてしまう、
という話は聞いた事があるけれど・・・)

また、私が小学生の頃から弾いて来たピアノを、
簡単に(2回調律したぐらいで)買い替えろ、とおっしゃるその方に、
「ピアノ弾きが持つ、ピアノへの愛情をわかっていない人だなぁ。」
と思いました。
(あるいは、その方が所属なさっている楽器店の販売促進のために、
そうお客に勧めるように指示されていたのかもしれませんが)

私が音楽の楽しさを知らずに、嫌々弾いていたり、
親に怒られて泣きながら弾いたりしたピアノです。
そしてその後、ピアノってこんなに楽しいんだ、とわかって、
弾き方が変わって行った、その歴史を知っているピアノです。

かなり状態が悪くなったとしても、簡単に買い替えられないよ。
はっきり言って、2回このピアノを見ただけの人に、
買い替えろなんて言われたくないよ・・・

そこで私は、それならセカンドオピニオンを取ろう、
と思ったのですね。
今度はなるべく、経験を積んだ方にお願いしてみて、
その人も買い替えを勧めるのならば、あきらめて買い替えよう、
と思いました。

そして、大学の同僚の先生や友人などに、
良い調律師の方がいないか、と尋ねてみました。

でも、やはりこれまでMさんの調律以外では、
あまり満足したことのない私なので、
このピアノの一大事を決めるために、
本当に信頼して意見を聞ける方、となると、
なかなかお願いしてみる気にならないのでした。

その時、私の頭をよぎったのが、
Mさんって、まだ調律の仕事をなさっているのかしら?
ということでした。

Mさんのお住まいは、二十数年前と変わっていなければ、
今の私の住まいから、そんなに遠くはないはず・・・
(電車で1時間ぐらい)

でも、私の両親と同じぐらいの年の方なので、
もしかしたらリタイアされたかもしれない・・・

そこで、インターネットで調べてみると・・・
最初はなかなか見つかりませんでしたが、
その方のお住まいあたりの調律師ということで検索をかけたら、
出て来ました!
Mさんの紹介記事などはありませんでしたが、
連絡先だけは載っているではありませんか!

電話をしてみると、そのMさんご本人が出られて、
まだ調律の仕事をなさっているとのこと、
そこで、迷わず、Mさんに調律をお願いしたのでした。

二十数年ぶりにお会いするMさんは、
以前よりも少し小さく細くなられましたが、
それ以外はあまり変わっておられませんでした。

そして、3時間近くかけて、一気に調律して下さいました。

調律できたピアノを弾いてみると・・・
あの、昔のピアノのキラキラした音がよみがえっています。

そして、ペダルを踏んで曲を弾いてみると、
あの、コンサート会場でしか味わえないと思っていた、
わずかなタッチの違いも音色の違いにして返してくれる、
豊かで繊細な音のピアノになっているではありませんか!
(もちろん、一台何千万もするような、
ブランドのピアノにはかなわないとは思いますが)

家でこんな幸せが味わえるなんて・・・
Mさんって、やっぱりすごい人だったんだ〜!
そして、うちのピアノって、やっぱりかなり良いピアノだったんだ〜!

そして、Mさん曰く、
「このピアノは、まだまだダンパーもしっかりしているし、
オーバーホールも買い替えも必要ありませんよ。
このまま弾けますよ。」

わーい!うれしいな!\(^▽^)/

ピアノも多分、本来の響きを取り戻して、
喜んでいると思います。

かなり御高齢のMさんですけれど、
これからもお元気で、活躍して頂きたいと思います。

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

私とピアノの話 その4 [私とピアノの話]

私の人生を180度変えてしまったもの、
それは、留学先の友人が薦めてくれた、聖書との出会いでした。

この出会いは、私にとってはとても大きいものなのですが、
聖書の教えを全部説明していると、
ピアノの話がキリスト教の話になってしまうので、簡単にまとめます。
(まぁ、その辺の詳しい話はまた別の機会に)

聖書が言うことを、ものすごく要約して言ってしまうのならば(神様ごめんね)、
人間がこの地球上に生まれてきたのは、
「偶然」が重なってたまたま人間の形になった、というのではなく、
神と呼ばれる存在が、その「意思」をもって人間を「創り」、
この世に送り出し、一人一人の人間すべてを見守り、
わが子のように(わが子以上に)愛していてくれる、ということなのですね。
でも、人の心に罪があるため、
(この一文を読んだ時、あぁ、心が罪深いのは私だけじゃないんだ、と妙に安心)
創り主の神を離れて、人は苦しみの人生を歩むようになった。
その苦しみの歩みからもう一度救われるための手段が十字架で、
十字架は神の私たち人間への最大の愛の証しであり、
それを信じることによって、再び神とのつながりを取り戻し、
人間本来の人生を歩むことができる、というのです。

初めは、そんな子供だましのおとぎ話を信じるなんて、と思ったのですが、
聖書をまじめに読んでみると、私の人生に足りなかったものが、
確かにあるような気がして、聖書研究会などに通って、勉強してみたのですね。
(聖書は独学でもある程度読めるのですが、当時の時代背景や習慣、
価値観などをよく理解した上で読まないと、よくわからなかったり、
誤解して読んでしまったりするのです。
そうでなくても聖書は謎めいた記述が多くて、誤解、曲解されやすい書物のようです。
例えば、元来非暴力であるはずのキリスト教徒が戦争を起こしていたりするのも、
聖書の曲解の一種だろうと思います。)

で、2~3年、色々と紆余曲折あったのですが、
(かなり疑って聖書を読んでいたところがあったので、なかなか信じる気にはならなかったのです)
日本に帰国して後、やっぱり聖書の言う「神」は本当にいる、と
とうとう信じて、クリスチャンになりました。

それで、クリスチャンになったとたん、私がピアノを弾く、
あるいは音楽をする理由が替わってしまいました。
それまでは、「親に捨てられなため」「周囲の賞賛を得るため」だったのが、
「音楽によってみんなの心が一つになって、みんなで幸せになるため。」
になってしまったのです。

神という存在が、私を作り、この世に置き、音楽を与え、
私を生まれる前から今まで、ずっと愛し、見守ってくれている、
という視点で自分の人生を捉えてみると、
私が今ここに生きている目的は、
音楽を通して人々に愛を運び、周りの人を幸せにすることだ、
と思うようになったのです。

以来、ピアノを弾く時、
自分が楽しいだけではなく、いっしょに演奏する人や聴く人と
心が一つになること、幸せなひと時を作ることが、一番の喜びになりました。
また、「有名になる」、ということも、あまり気にしなくなりました。
といっても、弱いところだらけのズッコケクリスチャンだから、
正直気になる時もあるのですが、
最後のところでは、有名になるかどうかは神が決めることなのだと思っています。
それよりも、自分が置かれたところ(神から遣わされたところ)で、
出会う人々(神から与えられた人々)と、音楽を通じて心を通い合わせることを
大事に考えるようになりました。

今は音楽に関しては、これまでの人生で一番自由だと思います。
ピアノを弾くのが、音楽をするのが楽しくて仕方がない・・・
ちょっとアホみたいな言い方でかもしれませんが、そんな感じです。

(一応終わり)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

私とピアノの話 その3 [私とピアノの話]

その後私は、そのまま上の音楽大学の作曲科に入り、
卒業しました。
ピアノに関して言うと、先生は替わったものの、高校で覚えた楽しさの中で、
引き続き勉強できたように思います。

大学卒業後、私はフリーで作曲や編曲、またピアノ伴奏者の
仕事をはじめました。
しかし、私にはまだ、ピアノ、というより音楽そのものについて、
自分がずっと後回しにして来た問題があったのでした。
そしてそれは、次第に大きく私にのしかかって来ました。

それは、「私は何のために音楽をやっているのか?」ということでした。
私の専門である作曲も含めて、
私はこれまで必死で勉強して来た音楽が、何のためだったのか、
実はまだわかっていなかったのです。
せっかく音大まで出たのに、音楽をする理由は子供の時と同じこと、
「親に見捨てられないため」「他に生きている意味がないため」。
そして、それらとほとんど同じ根っこの考え方なのですが、
「周囲の賞賛を得るため」「成功して有名になるため」
という理由もとても大きいのでした。

そして、親の私に対する評価や、周囲の賞賛といったものへの欲求は、
音大を出たところで、ほとんど満たされませんでした。
父は、音大にいる間に「有名」な音楽家になれなかった私に、
「やっぱりだめか・・・」
と言いました。
そして、とにかく金銭的に自立することと、
(ピアノ防音室つきの部屋を持って、ひとり立ちするには、
フリーの仕事でもらうお金では足りませんでしたから)
「有名」になるためにコンクールを受けることを命ぜられました。

そのような自分のみじめな状況から逃れるため、
私はまた、ひとつ逃げ道を見つけました。
それは、留学です。
当時は、それなりに「学びたい」と思うことがあって、
海外に行くことを選んだつもりでしたが、
今思うと、どうがんばっても自分を認めてくれない親から逃げたかったこと、
そして、もっと勉強すれば、「有名」になれるかもしれない、
ということが、本当の隠された理由だったと思います。

でも、自分をしっかりと持っていない、つまりアイデンティティのない人間に、
留学という大きな事業を耐える力はありません。
うわべでは、それなりに良い環境で、良い先生のもとで勉強でき、
「有名」になるために受けたコンクールのいくつかで、
入選したり、受賞したりすることはできました。

しかし一方、外国語での生活に加え、習慣や考え方の違いなどについて行けず、
私はいつも劣等感とあせりに苛まれており、
誠実でないとわかっている男の人と、いやだと思いながらつきあったり、
(それはおそらく、自分を持たない人間が陥りやすい、
心理学用語で言う、「共依存」の状態だったのでしょう)
ノイローゼ状態になって、
精神科の先生(運良く近くに日本人の先生がいらしたのです)に
お世話になったりもしました。

そのように心に破綻をきたしていた頃、
私は人生最大の出会いをし、私の人生は180度
変わることになったのです。
(つづく)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

私とピアノの話 その2 [私とピアノの話]

前回は子供時代の暗い葛藤を書きましたが、
子供時代に私をがんじがらめにしていたものは、
人生の様々な出会いによって、ほんの少しずつはがれて、
少しずつ自由を得て行ったようにも思います。
(多分、現在の私が今までの人生で一番「脳天気」に生きています)

その、はじめの変化は、高校に入った時でした。
私は音楽大学の附属高校の作曲科に入りました。

作曲科に転向したのは、小さい時から、簡単な曲を作るのが好きだったことと、
そして毎日ピアノを長時間練習することに耐えられなかった、ということがあります。
(作曲科の勉強もそれなりに、しんどいものがありましたけれど、
それは今回の主題ではないから省略)
でも、もっとぶっちゃけて言ってみれば、
ピアノのことで音楽教室の友達と比べられる状況から、逃げたかったこと
(教室内のオーディションに落ちたりして、親の私への評価がかなり下落していたので)、
また、音楽教室の他の子にはできなかったこと、つまり作曲で、
自分が他の子よりも価値がある、と思いたかった、というのが、
今思うと私の本音だったと思います。

時は少し前後しますが、そうやって作曲科の道を選び、音楽高校受験を決めた私は、
中学の時に、かなり厳しいピアノの先生につきました。
(作曲科のピアノは、副科といえども、「その1」に書いたように、
それなりのレベルを要求されるので)
その先生は、たくさんのピアニストを育てておられる年配の先生で、
その厳しさに何度も泣いてレッスンから帰りましたが、
徹底的に基礎をたたきこまれ、腕や指の使い方だけはきちんと
身につけることができました。
当時はとにかく先生への恐怖ゆえに練習していたので、
ピアノを弾く「喜び」については、相変わらずわからないままでしたが、
この先生に基礎をたたきこんで頂いたお陰で、
とりあえずピアノで色々な音色を出せるようになり、
それができたから後に本当のピアノの喜びを知ることになりました。
今はこの、当時鬼のように恐かった先生にとても感謝しています。

そんな私が、高校に入って出会ったのが、K先生。
私が初めてつく、男の先生でもありました。
その先生は、いつもレッスン室の奥にすわって、パイプをくゆらし、
あんまり生徒の方へは来ないで、煙の向こうから指示をなさるのですが、
その短い指示が、私にとっては衝撃的なものでした。

先生のレッスンをものすごく集約して言ってしまうなら、
3年間通してずっと言われ続けたことは、ただ一つ、
「自分が出す音のすべてを聴け」ということでした。
K先生がおっしゃるには、
「ピアノを弾くには、二つのことができていれば何でも弾ける。
それは、一つには腕の力が完全に抜けて、指でしっかり支えることができること、
そして、もう一つは、自分がこれから弾く音一つ一つをすべて予想し、
かつ弾いた後、すべての音を耳で聴くことだ。」

そして、レッスン中私がちょっとでもいい加減な音を出すと、
「今のDの音は聴いていなかったでしょう。」と注意されるのです。
練習不足で弾けないパッセージがあることよりも、
耳を使わないで出した音がある、ということでいつも叱られました。

また、「このように表現したい」、という意思を持たない演奏にも、
先生は怒りました。
それなりに練習して行ったドビュッシー、
たぶん、私は難しいパッセージのミスばかりに気をとられていたのでしょう、
「何でそんなに生気のない弾き方をしているんだ。」
と、何度も弾かされたことがありました。

というように、厳しさのあるレッスンでしたが、
その先生に習ううちに、私のピアノは全く変わりました。
人が聴いて私のピアノの音が変わった、と思うかどうかはわからないのですが、
その先生のお陰で、私は自分の出す音を自分で色々工夫して、
(音の強弱だけではなく、音色やフレーズ、曲全体の表情など)
自分で音楽を作る楽しみを覚えたのです。

「ピアノってこんなにおもしろいものだったのか・・・」
毎日の練習――ただ先生の言った通りに弾くのではなくて、
自分で試行錯誤して曲を仕上げること――がとても楽しくなりました。
この時覚えた喜びは、今日の私のピアノを弾く喜びの原点になっています。
(つづく)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

私とピアノの話 その1 [私とピアノの話]

私の本業は、作曲、ということになっています。
それから、ピアノも弾いて仕事しています。
日本の音大では、作曲を専攻するとたいてい、副科ピアノというのがあって、
結構しごかれるので、ある程度仕事できるぐらいにはなることが多いのです。
(それぞれの適性にもよるのだと思いますが)

以下、私とピアノのつきあいについて、書いてみることにしました。
特に初めの方、かなり暗いですが・・・

私がピアノをはじめたのは、4才の時。
英才教育で有名な某音楽教室に入れられて、
ソルフェージュとピアノを「やらされていた」のでした。
でも、その音楽教室に行くこと、ピアノの練習をすることは、
私にとってかなり苦痛でした。
特に、ピアノの練習については、親から毎日2時間練習しろと言われていましたが、
子供にとって「2時間」なんていう時間は「永遠」と同義語です。
子供にそんな集中力があるはずがありませんし、
第1、そんな長時間何をどう練習すればいいのか、全くわかりませんでした。
母が、「良くできる○○ちゃん」が、
課題の曲を、毎日10回通して弾くことを日課にしている、というような話を
聞いてきて(教室の母親同士の競争もあったらしい・・・)
「○○ちゃんはそんなに弾いているのに、あんたは・・・」と
怒られるのですが、
そんなことするなら死んだ方がましだ、
あの子はそんな信じられないことをしているのか、と思いつつ、
またそうできない自分がものすごくダメな子なんだ、と思っていました。

また、ピアノそのものについても、遊びで弾いていた以前のピアノと違って、
「練習する」ピアノは、ものすごくつまらないものでした。
先生が大きく弾けといえば大きく弾き、小さく弾けといえば小さく弾く、
ただ言われたことをそのまま機械のように再現する努力をする、
そんなことは、私にとっては、何の喜びでもありませんでした。

それなのに、どうして私はピアノをやめなかったのか?
それには、大きな理由がありました。
それは、「親に捨てられないため」
また、「自分が生きている意味がそれしかなかったため」でした。

私はそれなりに幼い頃、親に訴えたのです。
「ピアノをやめたい」と
そうすると母の答えは、こうでした。
「いいのよ、やめても。でも、やめるんならあんたは将来、ただ家でご飯を作ったり
掃除をしたりするだけの、つまんない一生を送るのよ。」
(今の私なら、この意見が間違っている、とはっきりと言えます。
愛する人のために心をこめてご飯を作ること、掃除をしたりすることは、
本当にかけがえのない、価値のある仕事だと思っています。でも、
私の母は、あんまり家事が好きではなかったらしくて、私に家事ではなく、
音楽で仕事をしてほしかったのだろう、と思います。
また、自分もピアニストになりたかったのに、戦争のせいで一番伸びる時期に
ピアノを弾けず、不本意ながら主婦になった、という悔しさもあったのでしょう。)

この答えを聞いて、私は、ピアノをやめてしまったら、
親からつまらない人間として見放されるのだと感じ、どうしてもやめられませんでした。
私が一人っ子であり、また内向的な子であったので、
親以外に頼る人間がいなかったことも大きかったと思います。

その一方、幼い頃からそれなりに「英才教育」を受けて、
学校では「一番ピアノのうまい子」ということになっていた私には、
ピアノも弾けず、ただのほほんと遊んでいる他の子が
ものすごくバカに思えました。
何でこの子たちは、こんなに何もしないで暮らしているのだろう・・・
と、ものすごく見下していたのを覚えています・・・
(今思うと、その愚かさが恥ずかしいです)
私の子供時代、もちろんそれだけではなかったけれど、
こと音楽に関しては、地獄の中にいたように思います。
(つづく)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
私とピアノの話 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。